渡哲也の嫁(石川俊子)画像に思わず納得!吉永小百合と破局は大正解?
昭和・平成の大俳優・渡哲也さんが亡くなられました。
30年近く闘病生活を続けて来た哲也さん。
そのパートナーとなったのが、一般人の旧姓・石川敏子さんでした。
大女優・吉永小百合さんとの結婚を蹴って選んだ一般女性。
一体どんな人だったのか、ご紹介します!
渡哲也は嫁(石川俊子)とは青山学院の同級生だった!
石川俊子さんは渡哲也さんと同じ、青山学院大学卒の同窓生という関係でした。
渡哲也さんが、芸能界入りする前(1963年頃)からのお付き合いだったそうです。
画像のとおり、神田正輝・松田聖子ご夫妻の結婚式の際、ご夫婦そろって仲人を務められました。
渡哲也の嫁(石川俊子)画像に思わず納得?
石川俊子さんとの、ツーショット画像をご紹介します。
石川俊子さんは芸能人ではありません。
一般人女性ということで、お顔の画像もほとんど見つかっていません。
渡哲也さんが結婚相手に求めたものが、ご理解いただけるのではないでしょうか?
渡哲也さんは昭和の俳優の中でも、1,2を争う男前(今でいうイケメン)。
恋愛相手や、結婚相手選びに困ることは無かったハズ。
浮ついた考えを持たず、堅実な道を歩んでこられた渡哲也さんに、驚きが隠せません!
この正しい選択をする力が備わっていたことが、のちのちの人生を大きく左右することになります。
【結婚+移籍】1971年の渡哲也は運命が大きく変化!
1971年の結婚当時、渡哲也さんは飛ぶ鳥を落とす勢いで活躍中。
映画・さらば掟
映画・ゴキブリ刑事
映画・野良犬まで
大河ドラマ「勝海舟」
などなど、俳優業の絶頂期ともいえるほど。
さらに、この年には日活を退社して、石原プロモーションへ入社を決定!
日活の路線変更(アクション→ロマンポルノ)で、進路の変更に迫られたのです。
当時の石原プロモーションは借金だらけで、倒産寸前!!
結婚生活と同時期に、収入が不安定になることが分かっていたのにですよ?
1971年は渡哲也さんにとって、人生の大きな分岐点と言える年になりました。
渡哲也が吉永小百合と恋人関係?破局した理由がヤバい!
若い頃から2枚目俳優として大活躍!
日活から石原プロモーションへ移籍後も、日本を代表する俳優として知られてきた渡哲也さん。
実は、吉永小百合さんと真剣な交際をしていた時期があったんです!
こちらも同じく、日本を代表する美人女優ですが、どうして破局したのでしょうか?
渡哲也と吉永小百合の熱愛はわずか2年で終了!
二人が交際していた時期は、1967年~1969年の約2年間ほど。
1966年の映画「愛と死の記録」で共演した後、たちまち意気投合!
二人がヒシと抱き合うラブシーンも含まれていたことから、私生活でもお互いに情が移ってしまったんですね。
そんなラブラブだった二人が別れることになったのが、吉永さんご両親の猛反対でした。
交際は良いけど結婚はダメ!
こんな堅物の両親の許諾を得られなかったことから、泣く泣く別れることに。
その後の吉永小百合さんは、フジテレビディレクターの岡田太郎さんと、1973年に結婚。
吉永さんのご両親は、愛娘の夫が俳優という先が見えない職業ということで、難色を示されたのかもしれませんね。
…というのが表向きの破局説。
真実は違っていたのかもしれません。
記事の最期に、その片鱗がうかがえるエピソードをご紹介!
渡哲也と嫁(石川俊子)の息子は?大手ゼネコン(鹿島建設)勤務
渡哲也さんと俊子さんの間には、一人息子さんがいます。
お勤め先が大手ゼネコンで、なんとあの鹿島建設だというウワサも!
既にお歳も40代ということですので、役職に着かれていそうですね。
残念ながら、一般人ということで、お名前やお顔は不明です。
華々しい父親と違って、一般職を選ばれた当たり、お母様の俊子さんの影響が強かったのでしょうか?
芸能人の2世タレントが幅を利かせるようになってしまった昨今ですが、息子さんは堅実な道を歩まれているようです。
闘病中の渡哲也を支え続けた石川俊子は妻の鑑?
話を渡哲也さんご夫婦に戻しましょう!
吉永小百合さんと破局後に、渡哲也さんが人生のパートナーに選んだのが、石川俊子さんでした。
前述のとおり、二人は同じ青山学院大学の同窓生同士。
俳優業という多忙を極める職業の夫を、かいがいしく支え続けることになりました。
1987年には、石原裕次郎さんの亡き後、石原プロモーションの2代目社長に就任。
俳優業+社長業ということで、愛する夫が苦労も人一倍重ねることに。
1991年に直腸がんを患った際も、夫を陰で懸命に支え続けてきたのです。
渡哲也さんも生前のインタビューでは、妻にイジメられながらリハビリしていると笑顔交じりに発言されていました。
こんなエピソードからも、非常にしっかりとした奥様だったことが、伝わって来ますね。
まとめ
2020年8月13日に、日本を代表する大俳優・渡哲也さんの突然の訃報が。
日本中が大変なショックを受けました。
石原軍団のエース的存在として、「大都会」「西部警察」などで大活躍!
実弟で俳優の渡瀬恒彦さんと共演したことも、数えきれないほど。
そんな渡哲也さんですが、1991年に直腸がんであることをカミングアウト!
以来、30年近くも壮絶な闘病生活を続けて来たのです。
その傍らには、常に陰で夫を支えて来た、妻の存在がありました。
渡哲也さんが昭和・平成の大俳優となれたのも、俊子さんのおかげではないでしょうか?
おまけ:吉永小百合の若い頃の性格がヤバい!(渡哲也はパートナー選びに成功していた)
吉永小百合さんの若い頃の、あるエピソードをおまけにご紹介しましょう。
昭和の時代、熱狂的なファンたち「サユリスト」から絶大な人気を誇っていました。
整形技術が未発達な1960年代において、その美貌は圧倒的!!
ですが、性格はかなりキツイもので、喫茶店で偶然見かけた方がビックリしたとか。
付き人を人前で散々こき下ろす姿に、ドン引きしてしまったそうです。
対称的に見た目があまり良くない(ハッキリ言うとブス)人を付き人にしていたのも、自分の引き立て役にするため。
このあたりの付き人のチョイスも、性格の悪さの表れかもしれません。
衆目を集める喫茶店内で、激しい叱咤の声を上げる美人女優の素顔。
見かけた人は、それ以来ファンを辞めてしまったそうです。
もし渡哲也と吉永小百合の、美男美女カップルが成立していたら…。
数年であっさり破局を迎えていたかもしれませんね。
やはり、多忙な夫を支えるのは、表に出ることのない控えめな女性がふさわしい。
そう感じてしまうエピソードでした。