菅義偉(すがよしひで)の若い頃が別人?画像で比較!生い立ちは苦労人?
「令和おじさん」の異名を取る菅義偉(すがよしひで)さん。
次期総理大臣候補として、非常に注目を集めています。
いつも控えめで縁の下の力持ち。
そんなイメージのある菅義偉さん、実は若い頃イケメンなスポーツマンだったんです!
どんなお顔だったのか、どんな性格だったのか、画像を交えてご紹介しますね。
菅義偉(すがよしひで)の若い頃【現在&10代の画像】
中学時代、軟式野球部に所属されていた菅義偉(すがよしひで)さん。
なんと、野球少年だったんですね!
イケメンで活発な印象を受けてしまいます。
現在の、お年を召されたお姿からは、ちょっと想像しにくいかもしれません。
クラスでは学級委員長をしていたこともあって、人望が半端なかったとか。
現在のポジションがあるのも、性格の良さゆえと言えるでしょうね。
菅義偉(すがよしひで)の若い頃【現在&20代の画像】
菅義偉(すがよしひで)さんの大学時代は、空手部に所属!
文武両道で非常に優秀な生徒だったとか。
家業のイチゴ農家を継がず、上京したため、勘当も同然だったんです。
大学の学費や生活費も、自ら稼ぐストロングスタイル。
菅義偉さんは、見た目よりもはるかに、たくましい方だったんですね!
菅義偉(すがよしひで)の若い頃【現在&30代の画像】
1987年、35歳の時に横浜市会議員に初当選!
30代の菅義偉(すがよしひで)さんからは、活力がみなぎっている印象を受けます。
横浜の市政に深く関与したのは、衆議院議員小此木彦三郎さんの秘書を務めた経歴から。
「影の横浜市長」の異名を取るまでになったんです。
以上、若い頃の画像を交えて、簡単に経歴をご紹介してきました。
次は、菅義偉さんの生い立ちについても目を向けてみましょう。
菅義偉(すがよしひで)の生い立ちがスゴイ!【少年時代はスポーツマン】
菅義偉(すがよしひで)さんは、秋田県湯沢市(旧・秋ノ宮村)のご出身です。
実家はイチゴ農家で、父親の和三郎さんは地元の名士。
父親=菅和三郎
母親=菅タツ
湯沢といえば「あきたこまち」のブランド米で有名な産地ですね。
和三郎さんは終戦後間もなく、「これからはコメだけでは食っていけない」とイチゴの栽培をスタート!
改良を積み重ねた結果、「秋ノ宮」という品種のイチゴをブランド化(「ニューワサ」)されて大成功!
長男として誕生した菅義偉さんも、将来はイチゴ農家を継ぐことを期待されていました。
小学校時代は裕福な家庭の少年だった?
実家のブランドイチゴが大ヒットしたせいか、裕福な少年時代を過ごしていた菅義偉(すがよしひで)さん。
小学生時代は、漫画雑誌を読みふける、子供らしい一面もありました。
当時の地元では、少年誌を定期購読できる裕福な家庭は、1学年に2人か3人いるかないか。
そんな状況でしたが、菅家でも毎月少年誌・冒険王を定期購読。
雑誌が届いたら、友達に先に読ませる気の良い一面もあったんです。
義偉君の家は小学校から直線で百メートルほどしか離れていませんでしたので、漫画を読みたい友だちが家の前で並んで待っていたのを覚えています。本が届くと、義偉君は友だちに封を開けさせて、先に読ませていました。たぶん自分自身は、夜に読んでいたのでしょうね
お友達の言葉通りなら、義偉少年は自分を後回しにする、控えめな性格だったようですね。
小・中学校時代はスポーツ万能少年だった!
菅義偉(すがよしひで)さんは、小学時代に陸上や相撲などの大会で、活躍する少年時代を過ごされました。
小学校=湯沢市立雄勝小学校(旧・雄勝町立秋ノ宮小学校)
中学校=湯沢市立雄勝中学校(旧・雄勝町立秋ノ宮中学)
中学では軟式野球部に所属、ポジションはサードで打順は1番打者!
地元・秋ノ宮では、優れた運動神経の持ち主で有名だったんです。
「今の官房長官からは想像できないかもしれないが、足が速くてスポーツ万能だった」引用:日刊スポーツ
菅義偉さんの今のお姿からは、かなり想像が難しいです。
小中時代の親友(由利昌司さん)の言葉を信じるのなら、まるで別人としか思えませんね!!
高校時代は帰宅部!2時間かけて通学していた!
小中学校時代を、スポーツ少年として過ごされた菅義偉(すがよしひで)さん。
高校進学されて、硬式野球部に所属するかと思いきや…。
なんと、高校時代は帰宅部になってしまいました!
高校=秋田県立湯沢高等学校
湯沢高校は、自宅から一番近いところにある高校。
それでも片道2時間(順調でも90分)掛かってしまうことから、部活を泣く泣く断念!
自宅→最寄りのバス停→湯沢駅→学校
往復4時間という通学時間では、最終バスを逃すと帰宅困難になってしまうわけです。
もし通学時間がもっと短ければ、菅義偉さんはもしかしたら、高校野球で大活躍されていたかもしれませんね~。
高校卒業後上京→過酷なアルバイト生活→大学進学へ!
菅義偉(すがよしひで)さんは、比較的裕福な家庭で過ごしたものの、家業を継がず東京へ!
中学卒業後に集団就職で上京する同級生に感化されたのか、地元の高校を卒業後1967年に上京します。
上京後は、板橋区内の段ボール工場で、過酷なアルバイト生活を体験。
「それで高校に就職先を紹介してもらい、工場のようなところに就職しました。そこで初めて現実の厳しさを味わった。田舎から上京してきた人たちとしか会わないわけですよ。そこでいろいろな話をした。私は高校を卒業してきたのですが、中学を卒業して出てきた人がいました。彼らからいろんなことを聞いていて『このままで一生終わるのは嫌だな』と思うようになったんです。そこでもう一回人生をやり直してみようかなと、大学に入ろうと思いました」
「東京へ行けば何かが変わる」と夢を抱いて上京したものの、現実は何も変わらなかった。
この時の痛烈な経験をしたことで、大学進学を決意することに。
昼=築地市場で台車運び
夜=新宿の飲食店で皿洗い
2つのアルバイトを掛け持ちしつつ、受験勉強を続けた結果、2年遅れで法政大学へ進学!
大学=法政大学(第二部法学部政治学科)
現実社会の厳しさを知って、自分の人生を切り開こうと決心し結果を出す。
菅義偉さんが、大変な努力家だということが理解できました。
ちなみに、第二部法学部政治学科を選んだ理由、非常にユニークです。
その理由は…なんと、私立大学の中で一番学費が安かったから!!
…こんな理由で選んだからなのか、政界へ進むキッカケに。
もし、実家に頼って学費を支援してもらっていたら…今頃、イチゴ農家を継がれていたかもしれませんね。
「ポスト安倍」
自民党総裁候補に名乗りをあげた
3人のうち
常時ブルーリボンバッジを付けてるのは
「菅 義偉」さんだけ。些細なことと言うかもしれないが
私はこういうところにも注目したい。 pic.twitter.com/V65TZPFZnJ— 丘田 英徳 (@okada_2019) September 2, 2020
大学卒業→サラリーマン→政界へ!
菅義偉(すがよしひで)さんは、1973年に法政大学を卒業後、建電設備株式会社に就職。
サラリーマン時代を経て、政界の道へ。
どうして政治の道に進もうと考えたのか、気になる方もいらっしゃると思います。
「そこでなんとなく、世の中を動かしているのは政治じゃないかなと思い始めるんです。ただ、政治家になろうとは思わなかったけど、政治の世界に身を置いてみたいという気持ちがあった。かといって、政治の世界では、誰も知らない。そこで法政大の就職課に行って、先輩の政治家を紹介してくださいと頼みました。すぐ近くにOB会の事務局があって、その事務局長を紹介してもらいました。その人が、法政の先輩で自民党の政治家だった中村梅吉さんの秘書と知り合いだった。その秘書を紹介されて、田舎者で、何もわからないけれども、初めて政治の道につながりを持つことができたのです」
世の中の仕組みに興味を抱き、政治の世界へ飛び込もうと一大決心!
ツテが全然無かったことから、法政大学の就職課へ足を運び、政治家の先輩を紹介してほしいと頼み込む。
法政大学OB会事務局長からの紹介
↓
第57代衆議院議長中村梅吉の秘書を紹介
↓
自由民主党の同派閥・衆議院議員・小此木彦三郎さんの秘書に!
以後、11年に渡って、小此木彦三郎さんの秘書を務めることになりました。
菅 義偉総裁選出馬会見 https://t.co/9IGNq4N5Yb
— 菅 義偉 (@sugawitter) September 2, 2020
まとめ
サラリーマン時代を経て、政治の道へ。
一時は秘書を辞めて、地元に帰ることも考えていた菅義偉(すがよしひで)さん。
「三十歳前後のとき、事務所を辞めて秋田へ帰る、と切り出したのです。そしたら、小此木さんが唐突に『野呂田芳成(元農水大臣)さんの参議院選挙の応援で秋田に行くから、お前もついてこい』と言って、連れていかれた。で、秋田に着いたら、お前のうちに行くって言い出した。そうして両親に会い、『もう少し鍛えさせてもらえませんか』と頭を下げるではありませんか。とうぜん両親は『お願いします』と答えるほかない」
よほど気に入られていたのでしょう。
小此木彦三郎議員の説得で、政治の道を続けることに。
若い頃のイメージとはすっかり変わってしまいましたが、芯の強さ・心根の優しさは少年時代のまま。
2世議員・3世議員が幅を利かす昨今、めずらしく下からの叩き上げの政治家になられました。
今後を楽しみにされている方も多いことでしょう。
アイドルの追っかけにご執心な方や、サーフィン三昧な学生時代を過ごされた方とは、一線を画しています!
無能な上に生まれついてのコネで、さも当たり前のように議員になる方が多い時代です。
菅義偉さんの今後のご活躍を、心から応援したいと思います。